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全道2回戦目で東商に負けました。応援してくださった方々ありがとうございましたじょばすの後輩たち本当にありがとういっぱい気使わせてごめんなさい皆とバスケできて幸せだったよー高校のバスケには後悔ばっかだったけど最後にこんなに幸せにバスケできて嬉しすぎます感謝でいっぱいですこれからもめっちゃ応援してるよ新人戦も全道いってね頑張れ言ってレズビアンくれたお友達ありがとう先輩方先生方ありがとうございました改めてたくさんの方々に支えてもらってるって実感しましたいっぱい幸せだった分勉強がんばるぞーっ2ヶ月あればなんだってできるるよしっ本当にありがとうございました全道から帰ってきたられおん死んじゃってたでもいっもれおん強かった動物ってほんとすごいなーて思ううちも強くなるいでも笑顔いでも人に優しくらいことだって全部乗り越えるからねれおん大好きありがとう賛美もほんとありがとうよくなる。
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今日市内の自動車学校のバスを使って入校申込みに行って来ました一人だけで申込みに行ったのでめちゃ緊張しましたが、受付のお姉さんが丁寧に対応してくれました視力検査が超ギリギリ(両眼0.8)でした多分眼鏡が汚れてたから今月22日から教習開始で、その日ゎ説明会で1日かかっちゃうので、休暇届を提出しなきゃいけませんが仕方ありませんそれにその日以降の平日で教習がある日ゎ会社を17時で早退レズビアンする事になりますもしその期間に仕事が忙しくなったとしても、教習を優先します免許を取れって言ったのゎ会社なんだから両立しながら通うのゎ少し不安ゎあるけど、会社のみんなに迷惑かけない様に、出来るだけ一発で取れる様に頑張りたいと思います


振り茶とは聞き慣れない言葉ですが、自家製の番茶を手製の茶筅で泡立てる茶のことをいいます。振る、というのは茶筅でかき混ぜることです。だから、これは高価な抹茶を入手出来ない人が代用品としての番茶を使って抹茶の作法を楽しんだもののようにも考えられます。しかし、これは抹茶とは起源を異にする番茶独特の習俗です。あの雨月物語の作者として有名な上田秋成は、煎茶に非常な関心をもっており、ある本に、振り茶は昔は各地で普通に行われていたという意味のことを書いています。たしかに今でも振り茶は全国に点々と分布していますが、山間部などの古い習俗が伝えられているところが大部分です。たとえば愛知県の奥三河地方ではこれを桶茶と呼んでいます。煮出した番茶を茶桶にくみ取り、塩を少し入れ、桶を左手でかかえるように持ち、右手の茶筅で手早くかきまぜて泡たてます。すると細かい泡で桶がいっぱいになるので、これを茶碗にくみ出し、香煎などを食べながら飲んだものでした。出雲のボテボテ茶も振り茶の一種で、泡立てた茶にいろんな具をいれて食べます。まり、振り茶は単純な飲物というよりも、茶をベースにした一種の食べ物、ということが分かります。そういえば、静岡市の郊外には明治時代まで、嫁さんを貰うと、隣家から、茶振りをもらっておめでとう、といわれたそうです。振り茶を作ることが、食物を作ることと同じような意味に考えられていたことを表すわけですから、振り茶という珍しい習慣は、じは茶の多様な利用法を具体的に物語る貴重な資料ということになります。それでは、日本各地に伝わる振り茶をみてみましょう。那覇のブクブク茶沖縄県那覇市ブクブク茶は那覇で行われた喫茶習慣です。沖縄は古くから東シナ海交易の中継地として栄え、各地の文物が伝えられました。特に茶道は、江戸時代になると、琉球王府の役人になるための必須条件として定められました。そして琉球の男性の間では、さまざまな芸ごとが盛んに行われるようになりました。このような風土の中で江戸時代の中ごろ、那覇の役人の家庭の婦人たちが、茶道に代わる楽しみとしてブクブク茶を考案したと言われています。明治時代には一般に普及し、会合の席や、船出した人の航海の安全を祈って飲まれるようになりました。戦前までは、劇場や市場にブクブク茶を売りに来る人もいたそうです。戦後はしだいに廃れてしまいましたが、現在、地元の有志によって再現され注目されています。山陰のボテボテ茶島根県松江市周辺鳥取県境港市この地方では、ハシマ食事と食事の間にボテボテ茶が飲まれていました。松江市の周辺で、田植えや草取りそして秋祭りなど、村の行事の際にお互い招きあったり、正月中は客の接待で忙しい女性たちが、一段落した15日ごろに集まって楽しむ女正月の席でもボテボテ茶が飲まれていました。また境港市では、弘法大師のお祭りや毎月のお大師さん講のときに飲まれていました。現在は、観光客相手の店や老人たちの集まりの席などで飲まれています。中曽司の振茶奈良県橿原市中曽司環壕集落であった中曽司だけに伝わる喫茶習慣です。地元で茶といえば、この振茶のことをさします。周りを壕に囲まれたこの集落は、昔から共同体としての意識が強く、集落の人達がたくさん集まって頻繁に茶が飲まれていました。特に春と秋の大茶とよばれる行事でも、この茶が飲まれました。現在は集落の戸数も増え、茶会も出産のお祝いや冠婚葬祭のときに、近所の人達や親戚だけを呼んで行うように変化してきました。蛭谷のバタバタ茶富山県朝日町バタバタ茶は朝日町の山間部、蛭谷に残る喫茶習慣です。浄土真宗の信仰が厚い蛭谷では、先祖の命日や出産、成人などの祝いの席でバタバタ茶が飲まれていました。特に親鸞上人の命日に当たる毎月28日のお待受に、順番で宿を決めて集まり、このお茶を飲んでいたそうです。かて耕地が少なく、男性が炭焼きや出稼ぎに出て家を空けることの多かった蛭谷では、しばしば家を守る女性たちの間で茶会が行われていました。それは女性達が互いに助け合い、情報交換をする大切な場でした。現在も続けられているこの茶会は、年配の女性達の楽しい交流の場となっています。ところで、新潟にもバタバタ茶があります。糸魚川のバタバタ茶新潟県糸魚川市富山県境に近い糸魚川市では古くから受け継がれてきたバタバタ茶を喫する習慣があります。バタバタ茶というのは、たて茶の一種で、大きく長い茶筅でバタバタと泡立てていただくお茶。富山県朝日町が有名ですが、あちらは発酵茶で糸魚川はマイルドな不発酵茶。いろいろと違いがあり、茶の花とカワラケツメイ、煎豆などさまざまなものを合わせて煎じるのが糸魚川のバタバタ茶。朝日町のバタバタ茶は、法事など人が集まる機会に飲まれるものだが、糸魚川では常に囲炉裏にバタバタ茶が掛かっており、毎日の飲み物だとか。江戸時代に北前船で出雲から入ってきた文化ではないかと相馬御風が研究していたとも聞く。島根県にはボテボテ茶と呼ばれる喫茶習慣があり、あちらはお米も入ってお腹を膨らませる目的とお茶が合体したもの。幕末の松江藩主で茶人として活躍した松平不昧が広めたとされている。バタバタ茶には米は入りませんが煎った大豆が茶葉に混ぜられており、器には島根の布志名焼を使っていたそうです。布志名焼は松平不昧の好みを映して始められ、広まった焼き物といわれています。


コンバンワアアアア今日は遅刻してった雨やからねで面接受けようと思ってた耳鼻科の事務もう他の学校の子が受かったみたいソンナコンナデ昼休みに進路指導室先生が最終手段やって言いながら1枚の求人持ってきた土木系会社の事務先生Aここ危なくないかん先生B前田なら好かれそうやで大丈夫や前田え何が危ないん怖い人達と繋がりあるんちょっ先生A違うんやけどもな。とりあえず親と相談してみろっとの事教室に帰って友達に話したら危ない理由やっと分かったおでも土木の人達って怖いよないかいよなとりあえず見学行くおどこでもいいからはよ受かりたいうんあさっき日以上ぶりに親の手料理食べた前田幸せでしっ今日は忠之お兄の機嫌が悪いみたいやはよ家出てけ


周りにご興味ある方いらしたら是非宜しくお願いしますスクールブログスタッフ日記毎日更新中開催日年月日月会場住所東京都台東区上野早稲田ビル山手線上野駅入谷口すぐタイムスケジュール1月歌唱講師石井雅登シアターダンスオープンクラスゲスト講師梶田祐紀恵講師プロフィール梶田祐紀恵年劇団四季入団、年大阪芸術大学舞台芸術学科ミュージカルコース業。主な舞台佐々レズ智恵子バレエ団シンデレラ演出橋浦勇冬の精、白鳥の湖演出関直人二羽の白鳥、他ソリストとして数多くのバレエ公演に出演、ミュージカルサウンドオブミュージック演出青井陽治、劇団四季ライオンキング、劇団座内レッスン、子役指導ダンスリーダーなども務める。年劇団四季を退団、年大手テーマパークホテルイベント出演、年ブロードウェイミュージカル出演。石井雅登生年月日香川県出身、東京藝術大学声楽科業。在学中小澤征爾音楽塾にて年塾生代表を務める。年、業と同時に劇団四季入団。入団後ヶ月でオペラ座の怪人にてデビュー。その後、ジョン万次郎の夢主演万次郎役、むかしむかしゾウがきた主演太郎坊役、スキンブルシャンクス役、赤毛のアンギルバートブライス役等、数々の作品にて主演、主要キャストを演じる。また、舞台以外にも中曽根元首相米寿誕生会赤坂プリンスホテルにおいて歌を披露するなど高い歌唱評価を得ている。年、更なる飛躍の為惜しまれ劇団四季退団。年間の充電期間を経て年月、東山紀之主演日本初演にてダンサー兼シンガーとして舞台復帰。その後月、フジテレビ主催日本初演、月東宝ミュージカル、ジョンケアード版日本初演に出演。受講料一般レッスン会員回チケット円回チケット円回チケット円※当日入会によりチケット購入での受講可能詳細はお問い合わせください。定額会員コースにより異なりますので受付けにてご確認ください。ご予約お問い合わせ時間受付


恋愛の息切れは年。あとはあら探しが始まる石の上にも3年美人は3日で飽きる12サァン世界のナベアツ何だか、世の中のことわざには3の付く言葉が多い気がするのは気のせいだろうか前段の文にある、3年も妊娠しないのなら同性愛、本能的に他の男性に意識がいくようになる、という文を読んで非常に驚いたホントかなでも、種の保存の法則から言うと、もともと人間は動物であるから、その理屈はわからないでもない。そもそも、今は生き方の多様化から、婚活がブームという時代の別の背景に、一生独身でもいいという男性、女性もいるのも事実。草食系という言葉があるように、恋愛に対しあまり積極的ではない人も少なくないのではないだろうか本能でいうところの3年ではあっても、こう、人生をどう生きるかという多様性から考えると、一概にそうは言えないかもしれない。例えば、先日、テレビを閲覧していると、某マラソン大会の優勝者のインタビューが放送されていたのだが、なんと、その男女の部での優勝者は、カップルであったことがインタビューにより判明した。上好きの自分にとっては、なんて羨ましいカップルなんだろうと思うとともに、やはり、恋愛を通して趣味を共有することにより、お互いに切磋琢磨し、それによって絆が強くなるので、ずっと良い関係を続けられるほんの一の例なのではないかと思った。従って、恋人探しはフィーリングが合う人、というのは当然のこととして、趣味が合う人、というのも非常に大切な要素なのかもしれない。


某所で祭状態になってる、熊森問題。まあ、山から下りて来た熊を射殺して苦情が来たっていう、アレですね。その関連で、熊森という団体が山にどんぐりを撒いたそうです。果たして、それが熊の保護に繋がるのか、それとも生態系の撹乱となってしまうのか長いスパンで観察し続けないとわからない事ですもんね。私にはどちらが正しいのかなんて、わかりませんが。昔仕事でダムのサイトを管理してた時、ダムの堤体の原料として削った山を再生するために、その山から木の実を拾ってきて育成し、ある程度育ったら山に戻すって運動をやってたっけなぁ。山の生態系に考慮して、その山の植物を増やすってことだったような。それ自体は、いい事だと思うんだけどね。まだ水が貯水される前の抉られた山やぶされた街並みを見ると、どうしても心は痛んだな。なんか、そういう問題じゃなくねっーか。何をやっても、人間が自分で自分の住みいい様に環境を変えていってるんだから、偽善に思えた。山の芯の部分って、岩なんだよね。だから、ダイナマイトで発破すんの。まだ工事中のダムの裏側を見に行った時、その材料山のふもとに転がってた石を持って帰った。その断面に、植物の種を含んだ水を吹き付けてたなぁ。そんで、どんなに心を痛めても、そのダムが運用されたらその恩恵は受けてるわけだしな。お陰で、前よりカルキ臭くない水を飲めるようになったってみんな言ってる。幸か不幸か、私にはその違いが全然わからないんだけど。あと、越冬してきた白鳥に、野鳥の会の人が餌を撒く活動もしてたっけなぁ。地元ではすごく受け入れられて、一種の観光にもなって、みんなパンの耳を持って川辺に来たりしてたけど、鳥インフルエンザの事があってからそこは閉鎖になってしまった。今はどうなってるのかわからない。野鳥の会の人だけがその活動を続けているのかもしれない。でも、人間が勝手に餌付けしたのに、病気の感染の可能性があるからって、勝手な話ではあるよなぁ。野鳥への餌付けだって、一部では問題視されていたって聞いたような気がする。んなこと言ったって、白鳥もカモも可愛いし、寄ってこられたら餌あげたくなっちゃうよね。はくちょうおじさんっていわれてたおじさんもいい人で、行くとなんかしら駄菓子くれたりして。何がいい事で、何が悪いことなんだろうな。んでも、ずっとそこに通い詰めてカモの個体差まで見分けられるようになった会社の先輩が、可愛い、可愛いって言ってたのに、帰りに寄った蕎麦屋で鴨蕎麦食べてたのは笑ったなぁ。普通に実家が田舎だったから、お肉っていうと家で飼ってる鶏ぶして食べてたって言ってた。それが本当の姿なのかもね。そう言えば、お蕎麦屋さんのカモソバって、カモっていうけど本当にカモ肉なのかなカモって食用にしていいのかしら普通の鶏肉じゃないのかしら昔、おじさんが間違ってカモはねたカモから車にぶかってきたっって、そのカモ持ってきたっけ。なんか、さばいたところはみてないけど、うちで食った記憶がある。あんなこと今はできないだろうな。寄生虫とか怖いし。第一誰がさばくんだ。ダッシュ村みたいな田舎みたいなとこに行って、雄大な自然を見た気になってても、それは人工的に作られた自然でしかないんだよね。人間に都合よく作り変えられた自然。なんだろううまく言えないけどさ。人間が自然を作り変えたなんて、人間の傲慢なんじゃねーのって思う。人間ですら、自然の一部なんだと思う。だって、地震とかあったら、頑張っても死ぬ人がいるわけじゃん。毎年水害に会う人だっているわけじゃん。農家なんか、もっと天候に左右されて生きてる。口蹄疫に翻弄された宮崎県は哀しかったよね。熊が食物の不作で飢えて死ぬのだって同じじゃないのかしら。人間が手を差し伸べてなんとかなるなら、そりゃそのほうがいいに決まってるけどなんだろう。うまく言えないけど、しっくりこないんだよね。生態系に考慮したそれらの活動すらいかがなものかと思うのに、ただあちこちからかき集めたものをばら撒くってまあ、長期的に見て地元の人が熊の被害にあわなくて済むようになるなら、いいのかなぁ。まぁ、そりゃあ猫を虐待して死なす奴はそいが死ねばいいと私も思う。それでも、例えば私が三味線を弾く時は猫の皮を張った楽器を、亀の甲で作ったバチで弾くわけでさ。この楽器の為に犠牲になった猫と亀が少なくとも一匹はいる。それでも、その三味線を丁寧に管理して、皮が破れないようにして、いまでも丁寧に弾いてあげるのが、犠牲になった猫と亀の為かなぁと。月並みな言葉ですが。だって、私の知らないところで命を奪われた猫と亀は、どんなに私が心を痛めても生き返らない。なら、その楽器をそのまま長く使う事が、新たな犠牲を生まずに済む方法ではなかろうかと。まあ、私の専門は三味線じゃなくて琴だけどね。これは例え話だからね。琴にしたって、爪は象牙だから、結局動物性のものを使ってるんだよね。昔の楽器ってのは、そういうの多いと思う。何が言いたいのかわからなくなってきた。否定したいわけじゃないんだけど、肯定もしづらいからかな。この一件に関して、私が感じたこと。ちなみに、植物にも意思があるらしい。キャベツに電極をけて、隣で別なキャベツに包丁を近付けると、ピイイイイイィィィィィィィィってすごい音が鳴るらしい。そのキャベツじゃないのにだよ。どういうことなの。物言わぬ生命は、動物だけじゃないんだなぁと、あらためて思う。







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