忍者ブログ
レズビアンな日々でした

WRITE | ADMIN

カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
アーカイブ


忍者ブログ [PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



某所で祭状態になってる、熊森問題。まあ、山から下りて来た熊を射殺して苦情が来たっていう、アレですね。その関連で、熊森という団体が山にどんぐりを撒いたそうです。果たして、それが熊の保護に繋がるのか、それとも生態系の撹乱となってしまうのか長いスパンで観察し続けないとわからない事ですもんね。私にはどちらが正しいのかなんて、わかりませんが。昔仕事でダムのサイトを管理してた時、ダムの堤体の原料として削った山を再生するために、その山から木の実を拾ってきて育成し、ある程度育ったら山に戻すって運動をやってたっけなぁ。山の生態系に考慮して、その山の植物を増やすってことだったような。それ自体は、いい事だと思うんだけどね。まだ水が貯水される前の抉られた山やぶされた街並みを見ると、どうしても心は痛んだな。なんか、そういう問題じゃなくねっーか。何をやっても、人間が自分で自分の住みいい様に環境を変えていってるんだから、偽善に思えた。山の芯の部分って、岩なんだよね。だから、ダイナマイトで発破すんの。まだ工事中のダムの裏側を見に行った時、その材料山のふもとに転がってた石を持って帰った。その断面に、植物の種を含んだ水を吹き付けてたなぁ。そんで、どんなに心を痛めても、そのダムが運用されたらその恩恵は受けてるわけだしな。お陰で、前よりカルキ臭くない水を飲めるようになったってみんな言ってる。幸か不幸か、私にはその違いが全然わからないんだけど。あと、越冬してきた白鳥に、野鳥の会の人が餌を撒く活動もしてたっけなぁ。地元ではすごく受け入れられて、一種の観光にもなって、みんなパンの耳を持って川辺に来たりしてたけど、鳥インフルエンザの事があってからそこは閉鎖になってしまった。今はどうなってるのかわからない。野鳥の会の人だけがその活動を続けているのかもしれない。でも、人間が勝手に餌付けしたのに、病気の感染の可能性があるからって、勝手な話ではあるよなぁ。野鳥への餌付けだって、一部では問題視されていたって聞いたような気がする。んなこと言ったって、白鳥もカモも可愛いし、寄ってこられたら餌あげたくなっちゃうよね。はくちょうおじさんっていわれてたおじさんもいい人で、行くとなんかしら駄菓子くれたりして。何がいい事で、何が悪いことなんだろうな。んでも、ずっとそこに通い詰めてカモの個体差まで見分けられるようになった会社の先輩が、可愛い、可愛いって言ってたのに、帰りに寄った蕎麦屋で鴨蕎麦食べてたのは笑ったなぁ。普通に実家が田舎だったから、お肉っていうと家で飼ってる鶏ぶして食べてたって言ってた。それが本当の姿なのかもね。そう言えば、お蕎麦屋さんのカモソバって、カモっていうけど本当にカモ肉なのかなカモって食用にしていいのかしら普通の鶏肉じゃないのかしら昔、おじさんが間違ってカモはねたカモから車にぶかってきたっって、そのカモ持ってきたっけ。なんか、さばいたところはみてないけど、うちで食った記憶がある。あんなこと今はできないだろうな。寄生虫とか怖いし。第一誰がさばくんだ。ダッシュ村みたいな田舎みたいなとこに行って、雄大な自然を見た気になってても、それは人工的に作られた自然でしかないんだよね。人間に都合よく作り変えられた自然。なんだろううまく言えないけどさ。人間が自然を作り変えたなんて、人間の傲慢なんじゃねーのって思う。人間ですら、自然の一部なんだと思う。だって、地震とかあったら、頑張っても死ぬ人がいるわけじゃん。毎年水害に会う人だっているわけじゃん。農家なんか、もっと天候に左右されて生きてる。口蹄疫に翻弄された宮崎県は哀しかったよね。熊が食物の不作で飢えて死ぬのだって同じじゃないのかしら。人間が手を差し伸べてなんとかなるなら、そりゃそのほうがいいに決まってるけどなんだろう。うまく言えないけど、しっくりこないんだよね。生態系に考慮したそれらの活動すらいかがなものかと思うのに、ただあちこちからかき集めたものをばら撒くってまあ、長期的に見て地元の人が熊の被害にあわなくて済むようになるなら、いいのかなぁ。まぁ、そりゃあ猫を虐待して死なす奴はそいが死ねばいいと私も思う。それでも、例えば私が三味線を弾く時は猫の皮を張った楽器を、亀の甲で作ったバチで弾くわけでさ。この楽器の為に犠牲になった猫と亀が少なくとも一匹はいる。それでも、その三味線を丁寧に管理して、皮が破れないようにして、いまでも丁寧に弾いてあげるのが、犠牲になった猫と亀の為かなぁと。月並みな言葉ですが。だって、私の知らないところで命を奪われた猫と亀は、どんなに私が心を痛めても生き返らない。なら、その楽器をそのまま長く使う事が、新たな犠牲を生まずに済む方法ではなかろうかと。まあ、私の専門は三味線じゃなくて琴だけどね。これは例え話だからね。琴にしたって、爪は象牙だから、結局動物性のものを使ってるんだよね。昔の楽器ってのは、そういうの多いと思う。何が言いたいのかわからなくなってきた。否定したいわけじゃないんだけど、肯定もしづらいからかな。この一件に関して、私が感じたこと。ちなみに、植物にも意思があるらしい。キャベツに電極をけて、隣で別なキャベツに包丁を近付けると、ピイイイイイィィィィィィィィってすごい音が鳴るらしい。そのキャベツじゃないのにだよ。どういうことなの。物言わぬ生命は、動物だけじゃないんだなぁと、あらためて思う。
PR







Powered by 忍者ブログ  Design by まめの
Copyright © [ レズな日々 ] All Rights Reserved.
http://iselwe.blog.shinobi.jp/